佃一男さん、トシ子さん夫婦。自宅の庭のツツジが花を咲かせていた=2024年5月11日午後、石川県輪島市下山町、伊藤進之介撮影
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 「人間はよえーけど、草や花はつえーな」。5月中旬、石川県輪島市西保地区の佃一男さん(78)は、妻のトシ子さん(75)と自宅の軒先に咲く満開のツツジを見ながらつぶやいた。

 能登半島地震の発生から5カ月が経った。地震で海岸線の県道が崩落するなどして一時孤立した西保地区では、いまだ電気が復旧せず、自宅に戻れない人たちがいる。

 佃さん夫婦ら孤立した地区の住民は1月17日、自衛隊のヘリコプターで集落を離れた。白山市の体育館に2カ月半避難したあと、4月上旬に輪島市街地の仮設住宅に移った。

 自宅は、元大工の一男さんが50年前に自分で建てた。離れることに始めはちゅうちょしていたが、トシ子さんの説得に応じるように避難を決めたという。

 避難所の体育館では、8平方メートルほどの段ボールベッドの上で過ごす生活。

 「暖房は入れっぱなしで寒くはなかった。町内の人がみんな一緒で、話し相手はいたし、ボランティアの人たちがフラダンスを見せてくれたり、卓球をやってくれたりして退屈することなく、あっという間だった」とトシ子さんは振り返る。

 2人は今、天気がよければ、復旧した山道を通って自宅に通う。瓦が落ちた屋根をふき直し、はがれ落ちた蔵の壁を片付け、田畑を耕し、薄暗い居間で昼食をとり、日が傾いたら仮設住宅に戻る生活を送っている。

 「自分で建てた家だから、ここにおれば安心だ。電気が来れば戻りたい」と話す一男さん。

 県によると、公民館や体育館などに設けられた1次避難所や、ホテルや旅館の2次避難所などに避難している人は3319人(5月28日現在)。また同27日現在で、応急仮設住宅3185戸に6913人が暮らし、県内外の賃貸型「みなし仮設」と公営住宅4774戸に被災者が入居している。

 多くの人が、いまだ自宅に帰れないまま暮らしている。(伊藤進之介)

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